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2024年03月28日

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ミズノ、淀屋橋本店が94年の歴史に幕――2025年以降に再開発ビル内に直営店を出店予定

1927(昭和2)年頃の淀屋橋本店㊧と現在の淀屋橋本店㊨



ミズノは、1927(昭和2)年に本社屋として完成した「ミズノ淀屋橋店」を6月30日に閉店すると発表した。淀屋橋駅西地区第一種市街地再開発事業に伴うもので、2025年秋以降に完成予定の再開発ビル内に、直営店を出店する予定。


ミズノ淀屋橋店は、後に商業の中心地となる大阪・淀屋橋に、大阪で7番目の高層ビルとして完成した。1992年3月まで本社屋として、その後は直営店として運営されている。同社創業者の水野利八氏(1884―1970)は、1891年の濃尾地震で被災した水野家復興の証として、100尺のビルを建てるという目標を立て、1906年に弟利三と水野兄弟商会を創業した。


しかし、「個人的な責務を果たして安心などしてはいけない。はるかに大きい社会的な責任(スポーツ産業の発展)が残っている」という自戒の意味を込めて、あえて98尺8寸のビルにしたという。完成後も水野利八氏の経営思想の象徴として、100年近くにわたりスポーツ文化の発展とともに歩んできた。


ミズノ淀屋橋店は、岡部顕則氏の設計により、当時の最先端の技術とデザインが採用された。関東大震災(1923年)後に建築されたため、現代の基準よりも短い間隔で梁を入れるなど、強度を高める工夫が見られる。屋上エレベーター室は、ロマネスクデザイン様式で、軒や階段手摺は1920年代に流行したドイツ表現主義デザインが採用されている。2階の踊り場には、更紗柄の入った1枚物の黒大理石が使用され、1階の階段裾は下段の幅を広げることで高揚感を高めるデザインとなっている。


ミズノ淀屋橋店は、水野利八氏のアイデアにより、さまざまなトレンドを発信してきた。屋上から垂れ下げる形のフンドシ広告の掲示や、荷車で配送する時代にオートバイにリヤカーを取り付けて街を配送することで評判を呼んだ。また、大阪で一番速いと言われたエレベーターを取り付け、7階と8階には大食堂をオープン。「ライスカレー」「ホームランジョッキ」が人気となった。


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