約40人のファンを前にモレリアについて語る中村憲剛氏㊧とミズノの安井敏恭氏㊨
ミズノは、「ミズノ」フットボールシューズの“モレリアの日”にあたる6月1日(木)、ミズノトウキョウ(東京・千代田区)で「モレリアの日 中村憲剛氏 Mr.MORELIA トークイベント」を開催した。
“モレリアの日”とは、1985年に開発された「モレリア」を翌年1986年に開催されたサッカーワールドカップ メキシコ大会でブラジル代表のカレッカ選手が履き、世界デビューした日に因んで制定しているもの。
トークイベントには、長年「モレリア」を愛用していた中村憲剛氏と「モレリア」の初代モデル開発者であるミズノの安井敏恭氏が登場し、モレリアにまつわる裏話が公開された。中村憲剛氏は、高校時代からモレリアを履き、プロ入り2年目から17年間にわたりモレリアを愛用してきた。
安井氏の「モレリアの日は、カレッカ選手がゴールを決めた2試合目としようという意見も出たが、世界デビューの日として切りも良い6月1日とした」という話に、中村氏は「初めて聞いた」と応えた。
モレリアは、ブラジルに渡った水島武蔵選手(当時)の意見を取り入れて開発され、カンガルーレザーの使用や構造などで、当時としては軽量の245g(26㎝の片足)に仕上げた。安井氏は、「まだ、サッカーというスポーツが日本で認知されておらず、ルールや日本における競技人口といった基本から説明するための手書きの提案書をつくって会社に説明した」と当時を振り返った。そして「個人技に優れるブラジルの選手に履いてもらいたい」と、1986年のワールドカップメキシコ大会に向けて開発を進めた、と話した。
現在は全国高校サッカー選手権大会でトップシェアを誇るミズノのサッカースパイクだが、当時はまだ無名で、高校選手権でも数人が履く程度だったという。そんななか、サンパウロFCに所属していたカレッカ選手から履きたいと申し出があり契約を結んだ。安井氏は「前年の1985年にソビエト連邦(当時)で開催されたワールドユース選手権で、プロトタイプをカレッカ選手のチームメイトのパウロ・シーラス選手が履いていた」という裏話も披露した。また、「モレリアのベースカラーとなっている赤、白、黒のパターンは、サンパウロFCのチームカラーからきている」と語った。
歴代のモレリア
中村氏は「ブラジル選手がモレリアを好きだというのは共感できるし、改めてすごいことだと思う。自分も体が小さく、学生時代から技術にこだわっていたので、スパイクには素足感覚と軽さをずっと求めていた。そうしたなかモレリアと出会い、瞬間にコレだ!と思った。それをもっと素足感覚に、もっと軽く、とリクエストしてきた。初代モデルから軽く、革も今のモデルと変わっていないことにも驚かされる。変わらない良さと、それを進化させていくことで安心感があり、何のストレスも感じないスパイクが生み出されている。プレーヤーファーストで応えてくれたことは感謝の一言であり、18年間プレーできたのはモレリアのおかげだと思う」と絶賛した。
安井氏の「作り手からしてしてモレリアに相応しい選手だと思い、モレリアのキャラクターになってほしくて中村氏を中央大学在学時からマークしていた」という裏話に中村氏は、「知らなかったが、嬉しい話」と驚きの声を上げ、「大学4年の年に2002年日韓共催のワールドカップがあり、リバウド選手がウエーブカップを履いていたことを覚えている。プロ入り2年目にモレリアを自分で選んだが、アンバサダーに選ばれた際は誇りであるとともに、今後の成果が期待されるので責任感も感じた」とモレリアにまつわる話を披露した。